▼書籍のご案内-序文

老中医の診察室

はじめに

 一九七八年の秋『上海中医薬雑誌』が復刊した。復刊に先立って主幹の王建平氏から難病の治療過程を題材にした文章を書いてほしいという依頼があった。中医学の弁証論治の思考過程や中西医結合の診療の優越性を示した内容の文章を、中国伝統の物語風のスタイルをとって各章に分けて書いてはどうかということだった。そしてさらに科学的な裏付けをもたせ、一般の人が読んでも理解できるような文章にして欲しいということだった。症例、治療過程、用薬、治療効果は、すべてカルテにもとづいた実在のもので、記録に忠実かつ信憑性のあるものをという条件も示された。要望にこたえて執筆に入った。症例はすべて私が体験したものである。ストーリーにはいくらかフィクションを持たせてはあるものの、いずれも事実に沿って書き綴ったものである。本書に紹介した症例の大方は、私自身が主治医として治療にあたったが、そのうちの二症例は恩師の金寿山教授が主治医として治療にあたっている。また第一回の麻黄加朮湯を用いた大葉性肺炎の治療を担当したのは、曙光病院の中医学の名医・劉鶴一先生であり、第二回の真武湯を用いたて心不全の治療のさいに、外来で処方されたのは?池教授、病棟での主治医をつとめたのは李応昌先生である。私は当時、病棟で入院患者の治療を担当していたため、患者の病状については熟知していた。
 本書の主役は鍾医師であるが、「鍾」という姓は、恩師の金寿山教授の名前にちなみ、尊敬の念をこめてつけたものである。主治医の応医師は李応昌先生を記念して名付けた。またこの小説を『医林?英』と命名したのは、これは私ひとりの医療体験ではなく、「医林」つまり、多数の中医師による心血の結晶であることを伝えたかったためである。
 本書は発刊以来、中年・青年層の中医師からひろく読まれてきた。一九八一年の秋、私は中医学の講義の依頼を受けて日本へ赴いた。その折りに日本で出版されている月刊誌『中医臨床』に『医林?英』が訳載されていることを知った。学術講演のさいには私は『医林?英』の作者として紹介され、熱烈な拍手で迎えられた。これを機会に『中医臨床』の主幹・山本勝曠氏および訳者の石川英子(ペンネーム石川鶴矢子)さんと面識を得て、異国の友人と文を交わすようになった。
 一九八三年、『医林?英』(二十回)は、湖南科学技術出版社から単行本として出版され、一九八五年には版を重ねている。一九九四年の初夏には、台湾へ講義に赴いたが、そこでは思いがけないことに、二十四回分を収録した『医林?英』にめぐりあったのである。それも一九八四年から一九八九年にかけて三刷も出版されていたのである。『医林?英』が台湾の中医学界からも歓迎を受けていることがうかがわれよう。こうした事実は私にとって大きな励ましとなり、いっそう真剣に臨床に対処し、理論を探究し、著作に心血を注ぎ、第三十回を書き終えた次第である。学術書の出版は難しいと言われているが、人民衛生出版社のご配慮によって、ここに『疑難病証思辨録』と書名を改めて出版される運びとなった。そのご好意に感謝し、ここに本書出版のいきさつを述べて、序にかえたいと思う。もしも天が私に時間を与えてくれるならば、二十一世紀の初頭には四十回分をまとめて本にして、医学界に捧げたいと願う次第である。

柯 雪 帆 七十歳
一九九六年十一月
上海天鑰新村にて